【 卒後0年 】


『 医学部卒業 』

医師家系として5代目となります。物心がついた時から医師とは「人助け」の仕事だというイメージを持っていました。人生を支えて感謝される仕事なのだと思っていました。医学生になり、身体を扱うための医学・治療知識を持つ事の重要性を年々実感した事が、医学を真剣に勉強する動機になりました。究極の「人助け」とも言える医師の仕事において、勉強不足が無いように心がけた学生生活でした。

医師国家試験の合格後は、医師として自分の進路(診療科)を考えなくてはなりません。人間の心に関わる精神医学に興味がありましたが、それを支える複雑な情報処置システムを持つ脳の解剖、疾患、特に治療技術(手術)に関心があり脳神経外科を選びました。

 


【 卒後1年〜5年 】


『 医師としての成長期 』

研修医としての大学病院に勤務しました。3ヵ月~半年毎に救急科・麻酔科・脳神経外科・外科等を勤務しながら医師としての基本的な業務の習得や実践の指導を受けました。卒後3年から、研修医から脳神経外科研究医となり、本格的に脳外科の治療に関わりました。ここからの5年間が、医師として成長する大切な期間であったと思います。きびしく仕事の基本を指導してくれた先輩、一生懸命仕事している事を評価してスキルアップのチャンスを与えてくれた先輩、自分の知識や経験を惜しむ事なくご教示頂いた先輩方に出会えた事を感謝しています。この時期に身についた事が、今でも苦を感じる事なく自然に体が動き、仕事をこなせるのだと思います(感謝)。

 

卒後4年の時、非常勤先の病院で「凄腕の先生が来て手術をしているよ」と外来の看護師さん達が教えてくれました。仕事の合間に手術室へ行くと、スタッフに大きな声で指示を出し、すさまじいオーラを出して手術をしていた「凄腕の先生」が福島孝徳先生です。ある時、スタッフが救急で不在になり、助手をさせてもらいました。福島先生は、「自分の手術は手術部に血を出さない」と説明して下さった後に「赤血球は何ミクロンだ?」と話かけられました。これが福島先生との初めての会話です(緊張のあまり返事することができませんでした)。

 

 


【 卒後6年〜9年 】


『 脳外科医としての専門性 』

卒後7年目、研修の2年と4年の脳外科研修プログラムを終えて日本脳神経外科学会の試験をうけ専門医となりました。専門性をもって新たな道に進もうと思いましたが、ここからは自分で脳外科医としての道を切り開かなくてはならず、また出世競争?や権力闘争?のような状況も大学病院で意識するようになる頃でした。脳血流に関わる研究をする一方で、臨床では米国から帰国された脳血管治療をされていた先輩のスタッフとなり血管内治療や脳血行再建(バイパス)を学びました。当時の血管内治療は、日本国内で治療が臨床で始まった脳動脈瘤や脳動静脈奇形などに対する最先端の治療法でした。この治療法の草の根となる先生方が語られる学会は規模が小さかったですが、まじかに話を聞けることができました。治療法の有効性や安全性、さらに治療現場での改善される過程を見てこれた事も大切な経験になっています。他の大学病院へ見学にいったり、助手にして頂く機会にも恵まれ、約100例ほどの血管内治療を経験しました。

しかし、当時の大学病院では血管内治療もしくは手術の専門家のどちらになるかの選択が必要で、結局、血管内治療ではなく手術のエキスパートをめざすことにしました。


【 卒後9年〜13年】


『 脳動脈瘤・脳血行再建(バイパス術)』

 卒後10年、医局で論文を調べていた時に衝撃を受けるイラストを見ましたた。腕を持ち上げて、切開した腕の血管(動脈)を脳の血管につなげるイラストが論文に出ていました。一次的に脳へ豊富な血流を補う高血流バイパスの論文でしたが、とても衝撃を受けました。このような手術方法で、諦めていた命を救われた患者さんがおられることを知った時は、是非この技術を身につけたいと強く感じました。当時、世界的に脳血管のバイパス手術については明確な効果を示す論文が無かったため、その技術や専門としている先生は多くおられませんでした。なので、この技術を学んで自分の専門分野にしようと考えました。


 

がよかったのは、非常勤先の病院にこの論文とバイパス考案者である上山博康先生が来院されて手術をする機会が多々あり、手術の見学や直接お話しを聞くことがでた事でした。また、手術で招聘される関東の病院が他にもあったので手術見学に行く機会や質問するような機会を持つことができました。当時は、なかなか手術見学を許可して手術方法や手技を見せて頂けるような機会は持てませんでした。学閥に関わらず、手術を上手くなりたいという強い情熱と意思を持って、見学に足を運ぶ私を含めた脳外科医の先生方にとても優しくいろいろな手術のポイントを教えて頂いたり、内輪で行う手術勉強会などの参加も気さくに誘って頂いた上山博康先生にはとても感謝しています。この頃に、福島孝徳先生の手術や上山博康先生の手術を見学していたなんて、とても贅沢だったと周囲からも言われています。


→ 【 卒後10年】

『 大学病院における第1例目の執刀;高血流(流量)バイパス術』